世界史に興味があれば、ロシアの皇帝といえばイワン雷帝、ピョートル大帝と記憶に残るっていると思いますが、実際にロシアを帝国と呼ばせたのはこのピョートル大帝が最初です。
さて、ロンドンの郊外に住む私がなぜロシアの皇帝について知ることになったのか、そのきっかけはチャールトンハウスについてこのように書かれていることをオープンハウスの資料で知り、その著者の足跡を辿ったからです。
Three hundred years ago the diarist John Evelyn described the prospect from Charlton House as 'one of the most noble in the world, for city, river, ships, meadows, hills, woods and all other amenities.'
その著者はジョン・イブリン(Jhon Evelyn)といい色々なところで日記作家(diarist)として紹介されています。その作品は今でもアマゾンで手に入れることができます。また造園家(gardener)として紹介されていることもあります。
私は造園家との紹介を造園業者なのかと早合点してして、知己だったというチャールトン・ハウスの次男ヘンリー・ニュートンをもそういう階級の人間だろうと思っ たりしたこともありました。しかし造園家とはそういう意味ではなく、彼の屋敷が有名な庭園をもっていたことによります。彼らはほぼ貴族階級に属する上流社会の人間でした。
デットフォード(Deptford)
今回、ピョートル大帝とのつながりを知ったのは、この彼の有名な庭園跡を見にいったのがきっかけでした。その場所はデットフォード(Deptford)というチャールトンからはブラックヒースという広大な緑地を過ぎてすぐ、鉄道の駅としてはグリニッジの次の駅がデットフォードです。ここを記憶しておられるとすれば、英国の文学や演劇に造詣の深い方でしょう。そう、ここはクリストファー・マーロウ(Christopher Marlowe)がここの居酒屋(tavern)で喧嘩の末亡くなって聖ニコラス教会(St Nicholas's)に葬られたところです。このシェークスピアに先立つ演劇人の不思議な死については、最近も小説や映画になっていますから、それでご存知の方もいらっしゃるでしょう。
しかし、イブリンはマーロウより一世紀後の人であり、エリザベス朝の栄華から一転して市民戦争、共和政、王政復古、名誉革命などを経験し日記にしたのです。そのイブリンの屋敷跡を見にデットフォードの鉄道の駅を降りたときに見上げた駅前の建物に英国にはよくあるブループラークをみつけて読んでみました。
写真ではあまり判然としませんがそこには「PETER THE GREAT CZAR OF RUSSIA WORSHIPPED HERE 1697-8」とあります。ここはクェーカーのミーティングハウスの跡地だったのです。その経緯はリンク先に書いてあるとおりですが、クェーカーは特定の宗派ではなく、信者集団のようなものなので、ピョートルもここで礼拝したのでしょう。当時イングランドで始まったクェーカーの集会所がここにあり、ここで若きピョートルはウィリアム・ペン(Willium Penn)と宗教論議をしたといわれています。ペンは後にアメリカのペンシルバニアを整備した人です。
デットフォード滞在中に、ピョートルは80歳近くになりサリーに越したイブリンから屋敷(Sayes Court)を借り、隣接した英国海軍工廠(あのヘンリー八世が創設したもの)で造船技術をを学び、後に彼が理想とした西欧文明を取り入れロシア海軍を創設し、ロシア正教会を保護育成した基がここに見られるのは非常に興味深いことです。
しかし、ここデットフォードは第二次世界大戦でドイツ空軍の空襲を受け徹底的に破壊されたこともあって歴史的建物は姿を消し、もともと工業地帯でもあるため魅力的で安全な場所ではありません。私も家内連れでは歩くことを敬遠したい場所です。そのため、単なる短期の観光旅行では絶対に訪問することもなく、ピョートルとイーブリン、チャールトン、そして英国と欧州、ロシアの密接な関連に気付く経験もできなかったと思えば、今回のロンドン滞在の大きな収穫でした。
私は造園家との紹介を造園業者なのかと早合点してして、知己だったというチャールトン・ハウスの次男ヘンリー・ニュートンをもそういう階級の人間だろうと思っ たりしたこともありました。しかし造園家とはそういう意味ではなく、彼の屋敷が有名な庭園をもっていたことによります。彼らはほぼ貴族階級に属する上流社会の人間でした。
デットフォード(Deptford)
今回、ピョートル大帝とのつながりを知ったのは、この彼の有名な庭園跡を見にいったのがきっかけでした。その場所はデットフォード(Deptford)というチャールトンからはブラックヒースという広大な緑地を過ぎてすぐ、鉄道の駅としてはグリニッジの次の駅がデットフォードです。ここを記憶しておられるとすれば、英国の文学や演劇に造詣の深い方でしょう。そう、ここはクリストファー・マーロウ(Christopher Marlowe)がここの居酒屋(tavern)で喧嘩の末亡くなって聖ニコラス教会(St Nicholas's)に葬られたところです。このシェークスピアに先立つ演劇人の不思議な死については、最近も小説や映画になっていますから、それでご存知の方もいらっしゃるでしょう。
写真ではあまり判然としませんがそこには「PETER THE GREAT CZAR OF RUSSIA WORSHIPPED HERE 1697-8」とあります。ここはクェーカーのミーティングハウスの跡地だったのです。その経緯はリンク先に書いてあるとおりですが、クェーカーは特定の宗派ではなく、信者集団のようなものなので、ピョートルもここで礼拝したのでしょう。当時イングランドで始まったクェーカーの集会所がここにあり、ここで若きピョートルはウィリアム・ペン(Willium Penn)と宗教論議をしたといわれています。ペンは後にアメリカのペンシルバニアを整備した人です。
デットフォード滞在中に、ピョートルは80歳近くになりサリーに越したイブリンから屋敷(Sayes Court)を借り、隣接した英国海軍工廠(あのヘンリー八世が創設したもの)で造船技術をを学び、後に彼が理想とした西欧文明を取り入れロシア海軍を創設し、ロシア正教会を保護育成した基がここに見られるのは非常に興味深いことです。
しかし、ここデットフォードは第二次世界大戦でドイツ空軍の空襲を受け徹底的に破壊されたこともあって歴史的建物は姿を消し、もともと工業地帯でもあるため魅力的で安全な場所ではありません。私も家内連れでは歩くことを敬遠したい場所です。そのため、単なる短期の観光旅行では絶対に訪問することもなく、ピョートルとイーブリン、チャールトン、そして英国と欧州、ロシアの密接な関連に気付く経験もできなかったと思えば、今回のロンドン滞在の大きな収穫でした。


安永様
興味深いお話、ありがとうございます。思わず、四十数年ぶりに、露和辞典を開いてしまいました。
Вели́кийは形容詞ですが、先頭文字が大文字で「大帝」という名詞のような意味になることを初めて知りました。今後ものぞかせて頂きます。
コメントありがとうございます。ロシア語のことは私は全く知りませんが、資料から引っ張ってきたものです。
ピョートルがロシアの西欧化に力を注いだのはよく知られていますが、若いころにロンドンのこんなところに滞在したことを知って、ロシアと英国の意外な関係を知った思いです。また寄ってください。