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    <title>Time of my life</title>
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    <subtitle>待ちに待ったリタイアメント生活が始りました。
これからが、我が人生の最良のとき！
と待ち構えていたさなか、本当に大変なことが東日本で起きてしまいました。被災地の方には心からお見舞い申し上げます。
　ブログは「北陸便り」を終え「Time of my life」で新たに再出発しました。これからは、そちらでよろしくお願いします。</subtitle>
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    <title>安永 利右衛門 - Time of my life</title>
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    <published>2012-02-11T11:06:29Z</published>
    <updated>2012-02-11T12:35:04Z</updated>

    <summary>　私のロンドンにおける自宅の近所に、ロシアのピョートル大帝の足跡を見出した話を以...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2012/02/%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E5%B0%8F%E5%A5%B3%E9%83%8E-405.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2012/02/%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E5%B0%8F%E5%A5%B3%E9%83%8E-405.html','popup','width=2113,height=3127,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2012/02/%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E5%B0%8F%E5%A5%B3%E9%83%8E-thumb-300x443-405.jpg" alt="博多小女郎.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" width="300" height="443" /></a>　私のロンドンにおける自宅の近所に、ロシアの<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/11/peter-the-great.html">ピョートル大帝の足跡を見出した話</a>を以前に書きました。ピョートル大帝は１７世紀の終わりから１８世紀初頭に活躍したひとですが、ちょうどこの時期に私の先祖である安永利右衛門も私たち子孫にとっては大きな転身を遂げていました。<br /><br />　私の祖先はさらに遡る１６世紀の初めごろに既に安永を名乗り始めています。その二代目である安永但馬守重勝が、筑前国鞍手郡黒丸村（現在の福岡県鞍手郡若宮町黒丸）に天文１８年（１５４９年）に城を構えました。そこには１３５年間に亘って９代が住み、我が一族の始祖となりました。<br />　重勝から利右衛門は９代目で１３５年、ということは一世代１５年足らずという計算になり、ほぼ一世代３０年で計算できる現代にくらべて、半分でしかないことになります。当時は非常に寿命が短かく早婚であったことが想像できます。]]>
        <![CDATA[　この利右衛門が我が安永家の中興の祖ということになりますが、福岡藩の第三代藩主光之のときに黒丸を出て御弓者として仕官し、その後鍛冶奉行を勤めたあと、光之が綱政に家督を譲った直後、元禄二年（１９８９年）に隠居し、息子の孫一に家督を譲っています。<br /><br />　この、元禄二年は松尾芭蕉が東北に旅立ち、のちに「奥の細道」として上梓した紀行文を書き始めた年です。そのような元禄文化が開花したことでわかるように、既に徳川家康による江戸開府から１００年近くが経ち、安定した時代が続いていました。<br />　身分が固定化し、武力ではなく儀式や格式などで上下関係をつくり統治するという流れが強くなった時代です。山中の故地から「一旗上げる」ために福岡の地に出て仕官する道を選んだ利右衛門は確かに時代の流れを感じていたのだろうなと思います。<br /><br />　この時代にロシアのピョートル大帝は英国に渡って造船技術を身に着け、ロシア海軍を創設し、バルト海を押さえ交易を行うことで国力をつけていきました。かたや利右衛門が仕えた黒田光之は御用商人である博多の豪商<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%B0%8F%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80">伊藤小左衛門</a>を使い密貿易を行ったことが発覚し窮地に陥りました。そのような違いはあるものの、時代は洋の東西を問わず同じ方向に動いていたのです。<br /><br />　画像はその密貿易事件に題材を取った「博多小女郎」の毛剃九右衛門（けぞりくえもん）です。]]>
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    <title>安永良徳伝（その１１） - Time of my life</title>
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    <published>2012-01-02T11:00:00Z</published>
    <updated>2012-02-02T11:38:31Z</updated>

    <summary>　安永良徳は「構造社」の斎藤素巌を尊敬していた。斎藤は東京美術学校の西洋画科を出...</summary>
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        <![CDATA[　安永良徳は「構造社」の斎藤素巌を尊敬していた。斎藤は東京美術学校の西洋画科を出てイギリスに渡ったが街の至るところにあるすばらしい彫刻を見てロイヤル・アカデミーで彫刻の勉強をはじめたという変わった経歴の人である。<br />　のちに日名子実三らと彫刻だけの創作集団である「構造社」を創設した。安永は昭和六年以来、構造社の会員でひところは池袋の安永のアトリエが構造社の事務所になっていた。<br />　美校を出て「構造社展」にはじめて出品したころの安永のことを斎藤素巌はこう書いている。<br />　「昭和五年九月、当時日本で唯一の在野彫刻家団体・第四回構造社展に安永良徳という新人が参加出品してきた。その作品は、何か地中から発生した生物のような、それまでの彫刻的概念では見当のつきにくいような作品で、受け付けた会員一同が目を見はったものである」]]>
        <![CDATA[<div align="left">　斎藤は群像やレリーフに卓抜な仕事を見せた作家だが、そのレリーフの技法を最もよく受けついだのが安永良徳であるといわれた。特に戦後にレリーフの傑作が生まれている。<br /></div>　昭和二十四年の「マルチン・ルーテル像」はルーテル協会から斎藤素厳が依頼を受けたのだが「レリーフは安永君がいいでしょう」と推薦してくれたもので、安永のレリーフを高く評価していたのである。<br />　同じ年（昭和二十四年）第五回日展に委嘱で出品した「サロメ」のレリーフも傑作であった。これは「壁面装飾試作」というタイトルがついている。<br />　
サロメは「聖書」に出ている話だが、むしろイギリスの作家オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」で広く知られている。ヘロデ王に所望されて裸の踊りを見せた美女サロメは踊りの褒美にヨカナーン（預言者ヨハネ）の首を望む。ヨカナーンは王を誹謗（ひぼう）した罪で牢に入れられていたのだが、彼はサロメの愛を拒
否した男でもあった。ヘロデ王はやむなくサロメの望みを聞き入れてヨカナーンの首を切って与える。銀の楯（たて）に乗せられた愛するヨカナーンの血まみれ
の首にサロメは接吻する。<br />　世紀末のデカダンスを代表する怪奇趣味の物語に安永が興味を持ったのは、いささか異質のようだが作品はモダンでエキゾ
チックな安永の作品の特徴が出ていて世紀末的な暗い退廃のイメージはなく、明るいサロメになっている。ソ連抑留から帰った安永の制作再開にかける意気込み
がうかがわれる作品である。<br />　レリーフのうまさは定評があったし、自分でも好きだったようで壁面装飾のための作品が多い。小さなものでは賞牌用のレリーフを頼まれて幾つか作っている。<br />　
彫刻家が誰でも頼まれる肖像を安永も数体制作している。古いものでは昭和九年に制作した福岡日日新聞社の第七代社長・征矢野半弥（そやの・はんや）像があ
る。これは戦争中、金属回収のため供出されたが、西日本新聞社に原型が保存されていたので昭和四十六年出身地の豊前市築城町赤幡に再建された。（これは安
永良徳没後である）<br />　このほかにも小西春雄福岡市長像（昭和三十四年、福岡市動物園）中島良貞像（昭和三十五年、九州大学）平野国臣像（昭和三十九年、福岡市西公園）などがある。<br /><div align="right"><cite>昭和５３年１月２５日（水）西日本新聞「ハカタ巷談・美の創造者たち・レリーフと肖像」より</cite></div>]]>
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    <title>コーヒー - Time of my life</title>
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    <published>2011-12-21T03:18:49Z</published>
    <updated>2011-12-21T03:59:54Z</updated>

    <summary>　ロンドンに行っても、日本に帰ってきてからもコーヒーを飲む習慣は相変わらずです。...</summary>
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        <name>安永</name>
        
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        <![CDATA[　ロンドンに行っても、日本に帰ってきてからもコーヒーを飲む習慣は相変わらずです。校生の頃に今も多分ある天神の裏のほうのベスト電器でコーヒーミルを買ったことを覚えていますから、もう４５年ほどになる習慣でしょう。<br />　大学生のころからつい４、５年前までは豆を買って挽くのが飲むより楽しみなくらいだったのですが、嗜好も変わって、味にも鈍感になったものと思われますが豆を粉に轢いたものを買ってきて飲んで、十分に満足するようになっています。<br /><br />　淹れる道具も変化していまして、昔はネルの袋で淹れていましたから袋の管理が難しく、いいかげんにしてるとすぐに風味が悪くなって困ったものですが、いつのころかもう２０年以上もなるでしょうか、濾紙で淹れる様になっています。<br /><br /><b>英国でコーヒーは飲まれるか</b><br />　ロンドンに行ったら誰でも思うように、紅茶を飲むことが多く、家族も私のためにコーヒーは一応買ってくれていましたが、淹れるのに茶漉しに濾紙をセットするという不自由な方法で数ヶ月やっていました。というのも、ロンドンのスーパーにはコーヒーフィルターが売っていないのです。濾紙を売っているのにフィルターがないというのは非常に不思議ですが、実際そうなんです。<br /><br />　実際にフィルターを買ったのはパリに観光旅行に行ったときで、パリではどのスーパーにもありました。英国でもコーヒーはよく飲まれているように感じますが、このことからも、やはり紅茶ほど一般的ではないと思われます。<br /><br />　そして、フィルターのサイズは、日本では２－４人用のサイズが一般的で、どのスーパーでも売っている濾紙はこれだと思います。ところが、英国でも、欧州でも少なくともパリやブリュッセルではもっと大きなもので、安価な大袋は全てそういうサイズです。<br /><br />　このことから推測するに、日本ではお茶やコーヒーは自分のためかせいぜい夫婦のために淹れますが、英国ではもっと多人数でお茶を飲むことが多いのではないでしょうか。家庭に人を呼ぶことが多いことが関係しているかなと思われます。そして、自分が飲むのは紅茶、大勢集まったときにはコーヒーも出すって感じですかね。<br /><br /><br /> ]]>
        
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    <title>ヘンリー・ニュートン（Henry Newton） - Time of my life</title>
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    <published>2011-12-07T22:54:35Z</published>
    <updated>2011-12-08T05:01:26Z</updated>

    <summary>　さて、チャールトン・ハウスを建設したアダム・ニュートン（Sir Adam Ne...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/a_view_of_the_manor_house_at_charlton_built_by_sir_adam_newton_1528495-335.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/a_view_of_the_manor_house_at_charlton_built_by_sir_adam_newton_1528495-335.html','popup','width=450,height=270,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/a_view_of_the_manor_house_at_charlton_built_by_sir_adam_newton_1528495-thumb-300x180-335.jpg" alt="チャールトンハウス画像資料" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="180" width="300" /></a>　さて、チャールトン・ハウスを建設したアダム・ニュートン（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Newton_%28dean%29">Sir Adam Newton, 1st Baronet</a>）をこのブログに<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/10/adam-newton.html">書いてから</a>間が空いてしまいましたが、チャールトンに縁のある人物として、彼の次男であるヘンリー・ニュートン（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Sir_Henry_Puckering,_3rd_Baronet">Sir Henry Newton, 3rd Baronet</a>）について書きます。<br /><b>誕生</b><br />　ヘンリーは、アダムの項でも書きましたようにエリザベス１世時代の国璽詔書であったジョン・パッカリングの末娘であるキャサリンを母として１６１８年４月１３日に誕生しました。両親の結婚後１３年も経った後、チャールトン・ハウス完成から６年後のことです。<br /><b>弁護士資格</b><br />　彼は父親のアダムが亡くなった翌年の１６３１年に、１３歳で<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB">インナー・テンプル</a>（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Inner_Temple">Inner Temple</a>）に在籍を許され、翌年にはケンブリッジで学士を取得しました。<br />　インナー・テンプルとは、法廷弁護士（barrister）を養成する施設なのですが、ヘンリーの年齢を見ても想像できるように、貴族や金持ちの紳士階級の子弟がいわば法廷弁護士の権利を手に入れる場所でした。ヘンリーは次男でしたから、おそらく父親が亡くなる前に将来を保証するために法廷弁護士の道を授けようとしたものと思われます。国王ジェームズ１世がスコットランド王ジェームズ６世であったころから密着して恩恵を被ってきたアダムらしい処世術と言えます。<br /><blockquote><blockquote>　インナー・テンプルは現在でも存在して法廷弁護士の養成・認定に大きな権限を持っています。英国の弁護士制度は日本とは違い、法廷弁護士と事務弁護士に別れています。仕事の内容も違うのですが、身分も法廷弁護士は上流階級に属するとみなされ、事務弁護士は中流階級に属します。私たちが日常に不動産売買などの契約締結事務、ビザ取得の事務などを依頼するのは事務弁護士です。関連して訴訟を起こす場合も事務弁護士が法廷弁護士に依頼する形で法廷に持ち出すことになります。つまり、ニュートン家が得意とした国王を頂点とする貴族階級に寄生して権益を享受するという形が今でも存続しているということです。<br /></blockquote></blockquote>　父親のアダムは自身がチャールトンに建て、現在もそのまま残る聖ルーク教会（St Luke's Church）に今も眠っています。その後、ヘンリーは長兄であるウィリアム・ニュートンが亡くなったために、準男爵の爵位とチャールトンの領地を引き継ぎましたが、アダムが望んでいなかった展開が待ち受けていました。<br /><b>内乱（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/First_English_Civil_War">Civil War</a>）</b><br />　既に、イングランドでは王権は議会から制限をうけていましたが、スコットランドから来たジェームズ１世と、その子チャールズ１世は自らの力を過信して「王権神授説」という当時としても時代錯誤な主張を掲げて議会と対立し、内乱が勃発することになったのです。この動きは独りイングランドだけのことではなく、ガイ・フォークスの事件で顕著なカトリックへの警戒感があるなかでカトリック国であるフランスやスペインなどとの関連した世の中の混乱の一部です。<br />&nbsp;さて、この内乱にヘンリーも<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%92%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84">エッジヒルの戦い</a>（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Edgehill">Battle of Edgehill</a>）に王党派として参戦しました。最終的にはクロムウェルなどの議会派の軍隊が優勢となって、チャールズ１世が処刑されると、ヘンリーも裁判で１２７３ポンドの罰金刑を受け、チャールトン・マナーを手放すことになりました。<br />　父親のアダムが、ここを４５００ポンドで購入したことと比較すれば、かなりの額の罰金ですが、国王が処刑されたにもかかわらずその傘下で参戦した貴族であるヘンリーが罰金刑でしかなかったことは、私には興味深いことです。<br /><br /> ]]>
        
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    <title>ピョートル大帝（Peter The Great） - Time of my life</title>
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    <published>2011-11-23T04:40:34Z</published>
    <updated>2011-12-02T13:55:10Z</updated>

    <summary>　私のご近所チャールトンにまつわる人物のことを調べてまわっているうちに面白い人物...</summary>
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        <name>安永</name>
        
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        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/peter%20the%20great-398.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/peter%20the%20great-398.html','popup','width=437,height=530,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/peter%20the%20great-thumb-300x363-398.jpg" alt="peter the great" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="363" width="300" /></a>　私のご近所チャールトンにまつわる人物のことを調べてまわっているうちに面白い人物に行き当たりました。左の惣明そうな顔をした写真の人物ピョートル大帝（Peter The Great,<lang="ru">Пётр Вели́кий）です。</lang="ru">１６７２年から１７２５年までを生きたロシア帝国の文字通りの祖といえる人物です。<br />　世界史に興味があれば、ロシアの皇帝といえばイワン雷帝、ピョートル大帝と記憶に残るっていると思いますが、実際にロシアを帝国と呼ばせたのはこのピョートル大帝が最初です。<br /><br /><blockquote>　さて、ロンドンの郊外に住む私がなぜロシアの皇帝について知ることになったのか、そのきっかけは<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/09/charlton-house.html">チャールトンハウス</a>についてこのように書かれていることを<a href="http://www.londonopenhouse.org/">オープンハウス</a>の資料で知り、その著者の足跡を辿ったからです。<br /></blockquote><blockquote>Three hundred years ago the diarist John Evelyn described the 
prospect from Charlton House as  'one of the most noble in the world, 
for city, river, ships, meadows, hills, woods and all other amenities.'<br /></blockquote><br />]]>
        <![CDATA[　その著者はジョン・イブリン（<a href="http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/STUevelyn.htm">Jhon Evelyn</a>）といい色々なところで日記作家（diarist）として紹介されています。その<a href="http://www.amazon.co.uk/Diary-John-Evelyn-Eve/dp/1857152913/ref=sr_1_1?ie=UTF8&amp;qid=1322058890&amp;sr=8-1">作品</a>は今でもアマゾンで手に入れることができます。また造園家（<span style="font-family:Garamond;mso-ansi-language:EN-US" lang="EN-US">gardener</span>）として紹介されていることもあります。<br />　
私は造園家との紹介を造園業者なのかと早合点してして、知己だったというチャールトン・ハウスの次男ヘンリー・ニュートンをもそういう階級の人間だろうと思っ
たりしたこともありました。しかし造園家とはそういう意味ではなく、彼の屋敷が有名な庭園をもっていたことによります。彼らはほぼ貴族階級に属する上流社会の人間でした。<br /><br /><font style="font-size: 1.25em;"><b>デットフォード（Deptford）</b></font><br />　今回、ピョートル大帝とのつながりを知ったのは、この彼の有名な庭園跡を見にいったのがきっかけでした。その場所はデットフォード（Deptford）というチャールトンからはブラックヒースという広大な緑地を過ぎてすぐ、鉄道の駅としてはグリニッジの次の駅がデットフォードです。ここを記憶しておられるとすれば、英国の文学や演劇に造詣の深い方でしょう。そう、ここは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%A6">クリストファー・マーロウ</a>（Christopher Marlowe）がここの居酒屋（tavern）で喧嘩の末亡くなって聖ニコラス教会（<a href="http://www.deptfordchurch.org/">St Nicholas's</a>）に葬られたところです。このシェークスピアに先立つ演劇人の不思議な死については、最近も小説や映画になっていますから、それでご存知の方もいらっしゃるでしょう。<br /><br /><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/6368817897_9c072dafed_b-401.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/6368817897_9c072dafed_b-401.html','popup','width=616,height=1024,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/6368817897_9c072dafed_b-thumb-300x498-401.jpg" alt="ピョートルブループラーク" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="498" width="300" /></a>　しかし、イブリンはマーロウより一世紀後の人であり、エリザベス朝の栄華から一転して市民戦争、共和政、王政復古、名誉革命などを経験し日記にしたのです。そのイブリンの屋敷跡を見にデットフォードの鉄道の駅を降りたときに見上げた駅前の建物に英国にはよくあるブループラークをみつけて読んでみました。<br /><br />　写真ではあまり判然としませんがそこには「PETER THE GREAT CZAR OF RUSSIA WORSHIPPED HERE 1697-8」とあります。ここはクェーカーの<a href="http://www.blackheathquakers.org.uk/BQMfiles/History.htm">ミーティングハウス</a>の跡地だったのです。その経緯はリンク先に書いてあるとおりですが、クェーカーは特定の宗派ではなく、信者集団のようなものなので、ピョートルもここで礼拝したのでしょう。当時イングランドで始まったクェーカーの集会所がここにあり、ここで若きピョートルは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3">ウィリアム・ペン</a>（Willium Penn）と宗教論議をしたといわれています。ペンは後にアメリカのペンシルバニアを整備した人です。<br />　デットフォード滞在中に、ピョートルは８０歳近くになりサリーに越したイブリンから屋敷（Sayes Court）を借り、隣接した英国海軍工廠（あのヘンリー八世が創設したもの）で造船技術をを学び、後に彼が理想とした西欧文明を取り入れロシア海軍を創設し、ロシア正教会を保護育成した基がここに見られるのは非常に興味深いことです。<br /><br />　しかし、ここデットフォードは第二次世界大戦でドイツ空軍の空襲を受け徹底的に破壊されたこともあって歴史的建物は姿を消し、もともと工業地帯でもあるため魅力的で安全な場所ではありません。私も家内連れでは歩くことを敬遠したい場所です。そのため、単なる短期の観光旅行では絶対に訪問することもなく、ピョートルとイーブリン、チャールトン、そして英国と欧州、ロシアの密接な関連に気付く経験もできなかったと思えば、今回のロンドン滞在の大きな収穫でした。<br /><br />]]>
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    <title>思い出す事など - Time of my life</title>
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    <published>2011-11-17T01:39:51Z</published>
    <updated>2011-11-19T02:43:41Z</updated>

    <summary>夏目漱石の「思い出す事など」の読後感想</summary>
    <author>
        <name>安永</name>
        
    </author>
    
        <category term="日本文学" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="夏目漱石" label="夏目漱石" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/BK20050524113143786L0-393.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/BK20050524113143786L0-393.html','popup','width=356,height=500,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/BK20050524113143786L0-thumb-300x421-393.jpg" alt="夏目漱石肖像" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="421" width="300" /></a>　つい先日、夏目漱石の「思い出す事など」を読みました。これは１９１０年（明治４３年）に伊豆で胃潰瘍で出血の発作を起こし危篤状態に陥ったときのことを回想したものです。<br />　夏目漱石の著書はまだ子供のころに主なものを読んだだけで、面白いことを書く人だくらいの認識しかありませんでしたが、今回ロンドンに来て彼の足跡を辿ってからは興味をもって読むようになりました。このブログでも、彼が五ヶ所も転々とした<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/07/natsumesouseki1.html">ロンドンでの下宿跡</a>について書きました。<br /><br />　母から譲り受けた文学全集のなかからあらかじめ夏目漱石の作品だけロンドンに持参しましたが、<a href="http://www.aozora.gr.jp/">青空文庫</a>という非常に立派な無料で公開されているネット上の書物があることに気付きましたので、実際にはそれを読んでいます。<br /><br /> ]]>
        <![CDATA[　今回の「思い出す事など」も普通の文学全集などに収録されているものではなく、おそらく漱石全集でも買わないと読めないのでしょうが、それも青空文庫で読むことができたのは文字通り「有難い」ことです。<br /><br />　この作品は彼が４４歳のときのもので、実際に彼が亡くなる６年ほど前のことです。現在ではこの年齢であれば若いのですが、おそらく当時であれば
そのくらいから老境を感じていたことでしょうし、実際臨死体験をしたことを綴っていますので、彼の死に対する心境がよく読み取れます。<br /><br />　
彼が教職時代だけではなく、著作に専念した朝日新聞社員の当時も仕事や世間に対してかなり重圧を感じて生きていたこともよくわかります。彼の著作はユーモ
アを湛えたもので一見すると気楽に書き飛ばしているようにも見えますが、一方で作品の中には当時の知識人でも普通は読まないであろう海外の作家や哲学者に
ついて言及するのが彼の持ち味ですから、漢籍は別としても、作品に反映することを念頭において常に新しいものを読み続けなければならないということもかな
りの負担だったように思えます。<br /><br />　興味深いのは、彼はそれまでの生涯でヒゲを蓄えたことがないと書いていることです。私たちが知っている彼の顔写真は、千円札の肖像を含めてすべて口ひげのある写真です。恐らく私たちが作り上げた彼のイメージなのでしょう。]]>
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    <title>London to Brighton Veteran Car Run - Time of my life</title>
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    <published>2011-11-09T05:38:32Z</published>
    <updated>2011-11-19T02:38:29Z</updated>

    <summary>　２０１１年１１月６日（日｝にロンドン・ブライトン間の古車の走行会（2011 L...</summary>
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        <name>安永</name>
        
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        <category term="伝説、伝統" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/">
        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/photo/6315117939_50530b5ec3_b.jpg"><img alt="ピカデリーベテランカー" src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/6315117939_50530b5ec3_b-thumb-200x332-396.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="332" width="200" /></a>　２０１１年１１月６日（日｝にロンドン・ブライトン間の古車の走行会（2011 London to Brighton Veteran Car Run）が開催されました。そこで、朝の７時に出発地であるロンドン中心部のハイドパーク・コーナーにでかけてきました。<br />　私の家はロンドン南東部のグリニッジ区にありますから２時間前の５時に起床してバスで出かけました。<br /><br />　今回が７８回といいますが、最初は１９世紀から開催されている走行会です。これは"<font><font face="times new roman, times">Locomotives on the Highway Act</font></font>"が１８９６年１１月１４日（土）の通過を記念してこの開催されたのが始まりといわれていますが、そのときはリストアップされた５８台のうち１３、４台しかブライトンまで着かなかったという歴史があります。<br /><br />　この壮行会に先立って、関連イベントとしてリージェント・ストリート・モーターショーも開催されて、ミニやジャガーＥタイプなどが多数展示されました。今回は電気自動車の日産リーフも展示されましたが、そこでもそういう車に混じってこのようなベテランカーが大挙走行しているのは壮観で、さすが英国と感じさせられました。<br /><div><br /></div>]]>
        <![CDATA[携帯電話で動画を撮りましたのでお見せします。当日の雰囲気が伝わりますでしょうか。ハイドパークのスタート地点です<br />
<iframe src="http://www.youtube.com/embed/Lx9wYFxpJNs" allowfullscreen="" frameborder="0" height="315" width="420"></iframe><br />
こちらはグリーンパーク
<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/s7F_cPquoI4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>]]>
    </content>
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    <title>ガイ・フォークス（Guy Fawkes） - Time of my life</title>
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    <published>2011-11-05T02:48:31Z</published>
    <updated>2011-11-05T04:09:00Z</updated>

    <summary>　今日２０１１年11月５日（土）はガイ・フォークス・デイです。これは英国では有名...</summary>
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        <name>安永</name>
        
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        <category term="グリニッジご近所" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="伝説、伝統" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/">
        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/guy-fawkes-mask-390.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/guy-fawkes-mask-390.html','popup','width=418,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/11/guy-fawkes-mask-thumb-300x430-390.jpeg" alt="guy-fawkes-mask" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="430" width="300" /></a>　今日２０１１年11月５日（土）はガイ・フォークス・デイです。これは英国では有名な<span lang="en"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%96%AC%E9%99%B0%E8%AC%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6">火薬陰謀事件</a>（<a href="http://www.gunpowder-plot.org/">Gunpowder Plot</a>）を</span>記念する日です。これは、わがチャールトンにも非常に関係が深いのです。それは、<a href="http:///">チャールトン・ハウス</a>を建てた人物として紹介した<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/10/adam-newton.html">アダム・ニュートン</a>がスコットランドからイングランドに帰化した正にその年１６０５年に起きた事件なのです。<br />　何度か書きましたように、そのときスコットランド王ジェームズ5世がジェームズ1世としてイングランドも統治したので、そのときの英国内の複雑な政治宗教関係が反映した事件なのです。<br />　詳しくは省くとして、爆薬を国会議事堂地下にしかけたことが発覚してガイ・フォークスは処刑され、それを記念して今でも11月5日はガイ・フォークス・デイ（ガイ・フォークス・ナイト）、ボン・ファイア・ナイトなどと言われて準祭日扱いで、現在では<a href="http://www.woodlands-junior.kent.sch.uk/customs/guy/england.htm">花火大会</a>の開かれる日になっています。<br /><br />　私の居住地域のブラックヒースでもロンドン地区でも<a href="http://www.viewlondon.co.uk/blackheath-fireworks-display.aspx">有名な花火大会</a>があります。今はちょっと雲っていますが、雨が降らなければ是非見に行こうと思っています。<br />　<br />　<br />]]>
        <![CDATA[それと、ガーディアンが報じたこの動画をごらんになったでしょうか。アノニマスというハッカー集団が、メキシコの麻薬ギャングを脅すためにYoutubeに投稿されたものです。この集団の主張の当否は全くわかりませんが、スピーカーが被っている面はガイ・フォークスのものです。また彼は「１１月５日を忘れるな」と脅しています。正にガイ・フォークスデーのことです。<br />　さて、どうなることやら。<br /><iframe src="http://www.youtube.com/embed/6JzgDd6wLcQ" allowfullscreen="" frameborder="0" height="315" width="560"></iframe><br />]]>
    </content>
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    <title>ムーラン・ド・ラ・ギャレット（Moulin de la galette） - Time of my life</title>
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    <published>2011-10-24T01:42:10Z</published>
    <updated>2011-10-24T03:48:31Z</updated>

    <summary>　旅行の楽しみは旅行中だけじゃなくて準備と思い出の整理にもありますが、今回は準備...</summary>
    <author>
        <name>安永</name>
        
    </author>
    
        <category term="旅行" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/">
        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/326657_181836715233003_100002200279109_403949_1485083882_o-381.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/326657_181836715233003_100002200279109_403949_1485083882_o-381.html','popup','width=616,height=1024,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/326657_181836715233003_100002200279109_403949_1485083882_o-thumb-300x498-381.jpg" alt="ムーラン・ド・ラ・ギャレット" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="498" width="300" /></a>　旅行の楽しみは旅行中だけじゃなくて準備と思い出の整理にもありますが、今回は準備をしてなかっただけ発見の面白さがありました。特にモンマルトル界隈の雰囲気は期待していなかっただけに嬉しい驚きがありました。<br /><br />　旅行から帰って、グーグルの地図を見ながら家内の記憶だけで歩いたモンマルトルの小道を辿っていると「あ、これだ！」と思いあたった場所が、この「<a href="http://www.lemoulindelagalette.eu/reservation-en.html">ムーラン・ド・ラ・ギャレット</a>」です。<br />　「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5">ムーラン・ルージュ</a>」はよく記憶した名前でしたし、ロートレックのポスターもよく記憶していましたから地図を片手にそこを目指して丘を降りていったのですが、その途中で見かけたのがこの一風変わった建物だったのです。<br /><br />　あまりにも奇抜なので、画廊かなにかかなと思って覗いたら、メニューがり、それで「レストランか」と納得したのですが、観光客が何人も記念写真を撮っていたのが気になりました。変わった珍しい概観なので記念に写真を撮ってるんだろうと思って私も一枚撮ったのがこの写真です。<br /> ]]>
        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/747px-Vincent_Willem_van_Gogh_066-387.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/747px-Vincent_Willem_van_Gogh_066-387.html','popup','width=747,height=599,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/747px-Vincent_Willem_van_Gogh_066-thumb-100x80-387.jpg" alt="ゴッホ" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="80" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/800px-Renoir21-384.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/800px-Renoir21-384.html','popup','width=800,height=589,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/800px-Renoir21-thumb-100x73-384.jpg" alt="ルノアール" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="73" width="100" /></a>　では、この変わった外観のレストランが何で有名かというと、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88#.E3.83.A0.E3.83.BC.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.83.BB.E3.83.89.E3.83.BB.E3.83.A9.E3.83.BB.E3.82.AE.E3.83.A3.E3.83.AC.E3.83.83.E3.83.88.E3.82.92.E9.A1.8C.E6.9D.90.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.9F.E4.BD.9C.E5.93.81">数多くの有名な画家がここを描いている</a>からだとわかりました。こうやって現地に立ったことを思い返してみると、当時の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88_%28%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%B5%B5%E7%94%BB%29">ルノワール</a>などここを描いていた状況がいきいきと伝わってきます。パリでは本当に絵画が庶民に近づいていたんだなということが感じられます。<br />　そして、このルノワールによる「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、たまたまその日の午後に行ったオルセー美術館に展示してあったのを帰ってから気がついた時には、また嬉しくなりました。<br /><div><br /></div>]]>
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    <title>パリの印象（Paris）続き - Time of my life</title>
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    <published>2011-10-23T07:57:19Z</published>
    <updated>2011-12-08T04:27:59Z</updated>

    <summary>　先に書きましたように、ロンドンからパリに着いて北駅の近所にあるホテルに荷物を預...</summary>
    <author>
        <name>安永</name>
        
    </author>
    
        <category term="旅行" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/">
        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02322-360.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02322-360.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02322-thumb-300x199-360.jpg" alt="モンマルトル遠景" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="199" width="300" /></a>　先に書きましたように、ロンドンからパリに着いて北駅の近所にあるホテルに荷物を預けてから最初に家内が連れて行ってくれたのは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB">モンマルトル</a>です。今回のパリ旅行について、全く何の下調べもせず旅行書の類も見なかった私にも聞き覚えのある名前でした。<br />　丘の頂上にはサクレ・クール寺院があるのも特徴ですが、モンマルトルの魅力はこの寺院にあるわけではありませんが、パリの風景には欠かせないものとなっているようです。<b>写真</b>はエッフェル塔の最上部から撮ったもので、モンマルトルの高さがあまり目立たなくなっていますが、それでも広大なパリの風景の中で異彩を放って目立つものでした。<br /><br /> ]]>
        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02202-363.html"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02202-thumb-100x66-363.jpg" alt="モンマルトル界隈１" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02208-366.html"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02208-thumb-100x66-366.jpg" alt="モンマルトル界隈２" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02209-369.html"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02209-thumb-100x66-369.jpg" alt="モンマルトル界隈３" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a>　参道を上がってすぐに左側の道を行くと名物の似顔絵描きが客引きをやっていますし、しゃれた土産物屋もあってなかなかの雰囲気です。でも、ここの魅力は丘の西側を麓まで降りる間の住宅地の雰囲気を味わうことではないでしょうか。<br />
　パリ中心部の生活感のない風景も都会の魅力ではありますが、旅の醍醐味はやはり地元の人の生活を感じることにもあります。ここは長らくパリ市内ではなく、都市計画から外れていたことでパリ特有の規格化された都市景観とは違った魅力が生じたのでしょう。<br /><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02233-372.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02233-372.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02233-thumb-100x66-372.jpg" alt="モンマルトル界隈４" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02232-375.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02232-375.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02232-thumb-100x66-375.jpg" alt="モンマルトル界隈５" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02234-378.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02234-378.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02234-thumb-100x66-378.jpg" alt="ムーランルージュ" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a>　坂を降りきるところには花屋さんやパン屋さんがあります。私たちはパン屋さんでフランスパンのサンドイッチを買いました。ちょうど昼時で地元の人たちがパンを買いに来ますが、く店員さんが「ボンジュール」と声を掛けるまで、おとなしく待っているのが印象的でした。ここはロンドンでいえばＳＯＨＯみたいな歓楽街ですからなおさらです。通りを降り切るとおなじみムーラン・ルージュです。夜はあまり近づかないほうがいいでしょう。<br />]]>
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    <title>パリの印象（Paris） - Time of my life</title>
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    <published>2011-10-22T00:57:45Z</published>
    <updated>2011-10-23T07:54:49Z</updated>

    <summary>　先週で語学学校を修了したことを書きましたが、厳密にはホリデー中です。期間は例え...</summary>
    <author>
        <name>安永</name>
        
    </author>
    
        <category term="旅行" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="パリ" label="パリ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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    <category term="海外旅行" label="海外旅行" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[　先週で<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/10/post-46.html">語学学校を修了したことを書きました</a>が、厳密にはホリデー中です。期間は例えば私が申し込んだ期間であれば２週間とることになっています。<br /><br />　その間に今週の火曜から家内とパリに一泊旅行してきました。私は海外旅行の経験はあまりなく、それだけに初めての欧州大陸は印象深いものでした。<br /><br /><b>第一印象</b><br />　ロンドン・パリ間は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC">ユーロスター</a>という日本の新幹線に匹敵する国際高速鉄道で２時間３０分足らずの短時間で結ばれています。ロンドン側の出発駅は英国の鉄道の改良に伴い４年ほど前ににウォータールーからセント・パンクラスに変更され素晴らしい施設になっていますが、パリの北駅はおそらく開業時のままで、比較すればみすぼらしいのはいかんともし難い印象です。しかも、英国でも（日本でも）少なくない鉄道の落書きがいたる所に目だって荒れた印象です。<br /><br />　到着したのは朝の９時前で、駅前のホテルに荷物を預けてすぐにバスで<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB">モンマルトル</a>に向いました。ここも寄り付きはよく言えば京都の清水坂のような感じの、やはりみすぼらしい印象はぬぐえません。狭い路地から丘を望むと立派な聖堂が見えますが、回転木馬などがある場末の雰囲気です。<br /><br /><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02176-339.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02176-339.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02176-thumb-300x199-339.jpg" alt="モンマルトル入り口" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="199" width="300" /></a><b>観光客</b><br />　まだ町は十分目覚めていないような時間ですが、既に団体観光客が続々と集まってきています。目立つのはアジア、それも中国人と韓国人です。みかけでは日本人と見分けはつきませんが、言葉で判断しました。恐らく以前は日本人団体客が目立ったのではないかと思いますが、時期的なものか、個人旅行に移行してしまったものかのどちらかでしょう。 ]]>
        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02194-345.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02194-345.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02194-thumb-100x66-345.jpg" alt="モンマルトル２" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02197-342.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02197-342.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02197-thumb-100x66-342.jpg" alt="モンマルトル１" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02200-348.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02200-348.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02200-thumb-100x66-348.jpg" alt="モンマルトル３" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><b>好印象に転換</b><br />　<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AF%BA%E9%99%A2">サクレ・クール</a>を過ぎると印象はかなり変わってきます。テルトル広場では似顔絵描きがまとわりついて家内に英語で冗談をいいます。なぜ私に話しかけないのかが疑問ですが、独自の嗅覚で私が英語すらできないのが判るのか知れません。最後は日本語で冗談を言うのも日本人と中国人を鋭く見分けているのはさすが。似顔絵描きもそうですが、土産物屋さんなども洒脱な雰囲気です。<br /><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02210-351.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02210-351.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02210-thumb-100x66-351.jpg" alt="モンマルトル４" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02212-354.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02212-354.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02212-thumb-100x66-354.jpg" alt="モンマルトル５" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a><a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02213-357.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02213-357.html','popup','width=2448,height=1624,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/DSC02213-thumb-100x66-357.jpg" alt="モンマルトル６" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="66" width="100" /></a>　テルトル広場を離れ、美しくデザインされた住宅が続く地区を散策していると、そこにあるダリダの像にスプレーで落書きしてあるのを見かけたのは、どこの都会でもある負のイメージを持たざるを得ません。<br />　しかし、風車をかたどったレストランや公園などで記念写真を撮る観光客が徘徊する丘の街でのひと時でかなり好印象をもつ事ができました。丘をムーラン・ルージュまで降りると猥雑な歓楽街となります。店の内容はロンドンのＳＯＨＯと同じようなものですが、なんだか開放的な雰囲気がするのはパリならではかななどと思ったものです。<br />]]>
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    <title>宗像教授（Professor Munakata） - Time of my life</title>
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    <published>2011-10-21T00:43:08Z</published>
    <updated>2011-10-21T01:40:02Z</updated>

    <summary>　大英博物館で、ビッグコミックの連載マンガ「宗像教授」の原画展が開かれます。２年...</summary>
    <author>
        <name>安永</name>
        
    </author>
    
        <category term="美術館・博物館" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/">
        <![CDATA[<img alt="munakata.jpg" src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/photo/munakata_rev_304x400.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="400" width="304" />　大英博物館で、ビッグコミックの連載マンガ「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E6%95%99%E6%8E%88%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA">宗像教授</a>」の原画展が開かれます。<a href="http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY200910240185.html">２年ほど前にも原画展が開かれて</a>いて、そのときにものですが、今回はその後描かれた「『宗像教授異考録』大英博物館編」"Professor Munakata's British Museum Adventure"が英訳され、大英博物館出版局"British Museum Press"から１４．９９ポンド（２０００円程度）で<a href="http://www.britishmuseumshoponline.org/invt/cmc24650/">出版される</a>のを記念して、原画に加えこれを書いた筆二本なども<a href="http://www.britishmuseum.org/whats_on/exhibitions/manga_at_the_british_museum.aspx">展示されるとのこと</a>です。<br /><br />　前回と比べて内容も期間も充実しており、日本でも、このシリーズが連載されているビッグコミックなどは大人が読むマンガとして人気も高く定着しています。前回の展示のときも、私の同窓生から愛読書の関連情報として教えてもらったものです。その質の高さからアジア・アフリカ文化のひとつとして認知されていく過程の一つとして、来場者の反応が非常に興味ある展示です。<br /><br />　私も<a href="http://www.britishmuseum.org/whats_on/events_calendar/november_2011/manga_professor_munakata.aspx">１１月２５日に開かれるイベント</a>にあわせて大英博物館に行ってみようと考えています。<br /> ]]>
        
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    <title>語学学校は一段落 - Time of my life</title>
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    <published>2011-10-15T00:57:45Z</published>
    <updated>2011-11-15T06:19:09Z</updated>

    <summary>　昨日の金曜日で今回の渡英の一番の目的としていた語学学校を修了しました。今回、は...</summary>
    <author>
        <name>安永</name>
        
    </author>
    
        <category term="英会話レッスン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/">
        <![CDATA[　昨日の金曜日で今回の渡英の一番の目的としていた語学学校を修了しました。今回、はどの程度上達すればいいのかというイメージさえ持てていなかったのですが、全部で七つある段階の下からも上からも四段階目である中間のIntermidateというクラスに上がることができたので、まあいいのではないかと思っています。<br />　英会話能力の現状は<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/09/post-42.html">一ヶ月ほど前に書いたこと</a>とそう変わるわけではないのですが、少なくとも英国人の言うことは、より明瞭に聞き取れるようになってきたというところでしょうか。発言能力はまだまだほとんどありませんが。<br />　次回の渡英では「英語習得はあきらめる」から「英語取得は卒業してほかの事にとりかかる」までの選択肢があったのですが「一層の英語力の向上をはかる」に的を絞ることにします。語学学校での習得段階だけではなくIELTSなどの受験も考えて見ます。<br /> ]]>
        <![CDATA[　ところで、世界各国から英国の語学学校への留学状況やなぜか南米の人が語学学校生のかなりの部分をしめていることを<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/08/post-41.html">以前書き</a>ました。少しずつ他の生徒と会話ができるようになってくると、私の認識が少しずれていたことがわかりました。<br />　
日本人よりコロンビア・ベネズエラ・ブラジルなどからの語学留学生が多いのにはやはり理由があります。日本人は、英語を学ぶためには、米国・カナダ・オー
ストラリア・ニュージーランド・英国などが候補地となります。少なくとも私が娘の留学先を探したときには、費用だけで考えるとニュージーランドなどが一番
よかったような記憶がありますし、その後の付き合いを考えると、北米も魅力的でしょう。そのために、英国を選択する日本人は比較的少ないことになります。<br /><br />　
一方南米人の多い理由は二つあります。第一の最大の理由は「南米人は米国（ＵＳＡ）のビザが取れない」からです。ＵＳＡと南米の関係がどうなっているのか
は、ニュースでときたま目にする程度ですが、ＵＳＡが南米に歩み寄っているのに、南米が拒否している印象でした。しかし、現実は南米人が渡米しようとして
も、ビザが取れない状況にあることがわかりました。歴史的なものやＵＳＡの国内事情があるのでしょうが、認識を新たにしました。<br />　第二に、南米に
は最近の欧州の経済危機だけではなく、過去から長期低落傾向のあるラテンヨーロッパ諸国（イタリア・スペイン・ポルトガル）からの移民が流れ込んでいるこ
と。（資料で確かめたことではなく「なぜ多い？」と聞く私にあるコロンビア人が答えてくれた内容です）そのために、以前から故国スペインへの留学は多く、
しかし昨今の状況から英語の習得も必要なために英国を選ぶのだそうです。<br />　日本にいたときは、日系ブラジル人労働者が多いこと日本人とブラジル人の関係は深いと感じていました。しかし、ブラジル人留学生に「日系人がいますよね」と聞いても、知らない人がほとんどです。ブラジルでもそうですから、彼らの目は完全に欧州に向いています。<br />
　そして彼らは欧州的生活が身についていると言う感じがします。今はフェイスブックというソーシャルネットワークツールがあるために行動をともにしなくても、そのアクティビティがよく伝わってくるのです。<br />　同じように比較的東ヨーロッパおよび旧ソビエト連邦地域、トルコなどからの留学生のほうがラテン系言語で構成される欧州人ソサエティには馴染みにくいようです。（日本人留学生は比較的こちらのグループのほうに馴染んでいるように見えます）<br /><br />　第三として、オセアニア地域を選ぶには、日本と違って遠すぎるために敬遠するということだそうです。<br /><br />　短期間の語学学校通いだけでも色々目を開かれることが多かったので、次回留学ではコミュニケーション能力もあがっているでしょうから、さらに何がわかるのか楽しみです。<br /><br />
]]>
    </content>
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    <title>アダム・ニュートン（Adam Newton） - Time of my life</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/2011/10/adam-newton.html" />
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    <published>2011-10-05T01:07:26Z</published>
    <updated>2011-10-08T03:33:52Z</updated>

    <summary>チャールトン・マナーの支配者で、チャールトン・ハウスを建てたアダム・ニュートンの生涯</summary>
    <author>
        <name>安永</name>
        
    </author>
    
        <category term="グリニッジご近所" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="伝説、伝統" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="散歩" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="チャールトン" label="チャールトン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/">
        <![CDATA[<a href="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/a_view_of_the_manor_house_at_charlton_built_by_sir_adam_newton_1528495-335.html" onclick="window.open('http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/a_view_of_the_manor_house_at_charlton_built_by_sir_adam_newton_1528495-335.html','popup','width=450,height=270,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://bloggerjp.com/timeofmylife/time_of_my_life/assets_c/2011/10/a_view_of_the_manor_house_at_charlton_built_by_sir_adam_newton_1528495-thumb-200x120-335.jpg" alt="チャールトンハウス画像資料" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" height="120" width="200" /></a>　チャールトン・ハウスにまつわる話を書いてきましたが、人物に焦点をあわせて何回か書いてみたいと思います。<br />　その第一回として取り上げたいのは、この館を建てたアダム・ニュートン（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Newton_%28dean%29">Adam Newton</a>）です。ほぼ同時代の科学者である<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3">アイザック・ニュートン</a>（<a href="http://www.bbc.co.uk/history/historic_figures/newton_isaac.shtml">Isaac Newton</a>）と同姓ですが、アイザックがイングランド人であるのに対し、アダムはスコットランドの人です。<br />　アダムは長らくフランスのポワトゥー（Poitou）にある学校で教師として過ごした学者ですが、スコットランドに戻って１６００年ごろに、ジェームズ６世（後のイングランド王）の息子であるヘンリー王子（Henry
 Frederick 
Stuart）の家庭教師（tutor）に指名されました。<br /><br />]]>
        <![CDATA[　そして１６０３年にジェームズ６世がイングランドの王になってすぐ１６０５年にはイングランドに帰化しています。同時にダーラム大聖堂（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Durham_Cathedral">Durham Cathedral</a>）
の司教職（deanery of 
Durham）を手に入れました。これは当然ジェームズ王の威光によるものです。そして直後の１６０７年には、チャールトン・マナーをJames 
Erskineから４５００ポンドで購入し、すぐにチャールトン・ハウス建築にに着手しています。<br />　これはいかに司教職からの収入が多額なものかがわかりますが、彼は代理人を立てただけで、実際にダーラムに赴任することはありませんでしたからロンドン近郊のチャールトンを領地にすることができたのです。<br /><blockquote><blockquote><font style="font-size: 0.8em;"><font style="font-size: 1.25em;">　
近所の人の話や掲示などで、家内などはチャールトン・ハウスはイングランドの王室のものだったとか、王子の居城だったなどと思い込んでいたようです。私も
その話や、立派な建物から「王室ゆかりの」とこのブログでも書きましたが、よく調べてみると、アダムがヘンリー王子の家庭教師であったことから連想され、
特にジョン・イーブリン（<a href="http://www.romanbritain.freeserve.co.uk/john%20evelyn.htm">John Evelyn</a>）も日記でそう書いていることから地元の伝説になったものと思われます。<br />　先日行われたオープンハウスの資料でも、その伝説も考慮してわざわざ it is unlikely that 
the house was at any time a royal residence. とコメントしています。</font><br /></font></blockquote></blockquote>　イングランドへの帰化や司教への就任という彼にとって大事な年であった１６０５年ですが、私生活でも結婚という大きな出来事がありました。相手はキャサリン（Katherine）といい、エリザベス１世時代の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%92%BD%E5%B0%9A%E6%9B%B8">国璽尚書</a>（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Keeper">lord-keeper of the great seal</a>）であったジョン・パッカリング（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Sir_John_Puckering">Sir John Puckering</a>）の末娘でした。<br /><br />&nbsp;１６１０年にアダムはヘンリー王子の家庭教師職を終え、そのすぐあと１６１２年にヘンリー王子は腸チフスのため逝去しますが、その年にヘンリーの弟のチャールズ王子の出納責任者となります。そしてチャールトンハウスは完成しました。<br />　１６２０年にアダムはダーラム司教職を売却し、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%96%E7%94%B7%E7%88%B5">準男爵</a>（baronet）となり（購入し）、実質的に貴族の仲間入りをします。<br /><blockquote><blockquote>　
準男爵とは、Lordの肩書きで呼ばれる本物の貴族に対し、Sirの肩書きで貴族ではないと言われますが、ジェイン・オースティンの小説などでも、ほぼ貴
族と同じ扱いで書かれ、貴族名鑑にも載せられています。アダムの準男爵拝領は、国王への献金から得られたもので、その後も財政的理由のためにジェームズ1
世は準男爵を多発しています。<br />　準男爵は地位は低いとはいえ爵位であり、同じSirの肩書きをもつが単なる叙勲であるナイト（勲爵士）とは全く違
うものです。事情を知らない人が「卿」と翻訳することがあり、有名な例ではニュージーランドの登山家で、エベレスト初登頂のためにナイトに叙せられた
サー・エドモンド・ヒラリーことを「ヒラリー卿」とした例があります。<br /></blockquote></blockquote>その後、サー・アダ
ムは１６３０年１月１３日になくなり、自ら建て直したチャールトンの教会に葬られました。彼のスコットランドからイングランドへの生涯は、まさにジェーム
ズ1世とともにあり、ステュアート家がイングランド王位も継承するなかで、イングランドに資産を築きチャールトンに美しい館を残したのです。]]>
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    <title>チャールトンの歴史（History） - Time of my life</title>
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    <published>2011-09-28T00:51:06Z</published>
    <updated>2011-10-04T06:57:23Z</updated>

    <summary>　チャールトン・ハウスにまつわる人のことを調べて書いていると、英国の大転換期の光...</summary>
    <author>
        <name>安永</name>
        
    </author>
    
        <category term="グリニッジご近所" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="散歩" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[　チャールトン・ハウスにまつわる人のことを調べて書いていると、英国の大転換期の光景が現実感をもって迫ってきます。年代順に出来事をまとめて見ます。<br /><blockquote><font style="font-size: 0.8em;">☆アダム・ニュートン＝チャールトン・ハウス建設者<br />☆ヘンリー・ニュートン＝アダム・ニュートンの次男<br /></font></blockquote><ul><li>１６０３　スコットランドのジェームズ６世がイングランドの王位に付く。</li><li>１６０５　アダム・ニュートンがイングランド帰化、ダーラム司教就任</li><li>１６０６　アダム・ニュートンがチャールトン・マナー購入</li><li><b>１６０７　チャールトンハウス着工</b></li><li>１６１０　家庭教師終了</li><li><b>１６１２　チャールトンハウス完成</b>　ヘンリー王子死去　アダム・ニュートンがチャールズ皇太子の出納長官に就任</li><li>１６１８　ヘンリー・ニュートン誕生</li><li>１６２０　アダム・ニュートンが準男爵（baronet）に叙せられると同時にダーラム司教売却</li><li>１６２５　チャールズ１世王位継承</li><li>１６３０　アダム・ニュートン死去</li><li>１６３２　ヘンリー・ニュートン法曹院（Inner Temple）に加盟を許される</li><li>　　　　　　　　〃　　　　　　　ケンブリッジで学士号（MA）を取得</li><li>１６４２　エッジヒルの戦い（英国内乱の始まり）ヘンリー・ニュートン参戦</li><li>１６４５　ネーズビーの戦いで王が敗北</li><li><b>１６４８　ヘンリー・ニュートンの領地が議会に没収される</b></li><li>１６４９　チャールズ１世処刑　共和政の始まり</li><li>１６６０　チャールズ２世王位に就く　共和政の終わり</li></ul>　年表でわかるように、チャールトン・ハウスの主はスコットランドの学者の系統で、スコットランド王がイングランドを統治するようになったこととあわせて昇進して貴族にまでのぼります。ところが、人気の無かったチャールズ１世のために内乱がおき、当然王に従うしかなかったチャールトン・ハウスの主は没落することになりました。<br />　この間、わずか半世紀の出来事でした。チャールトンは学者あがりの新興貴族に領有されたために、その後も長く農業が振興されなかったと考えられます。<br /><br />　<br />　また、サンドピットといわれる砂やチョーク、ライム・ストーン（石灰岩）などを産出する高山が領内に発見されたため、農村というよりも労働者の村として近世まで経営されることになりました。１９世紀になって、他の地域に送れて囲い込みがおこなわれたのはそういう経緯のためであろうと想像できます。<br />　細かく違いはあるものの、チャールトン・パークをはじめロンドンにある緑地や広場は、近年整備されたものではなく、中世からの歴史的光景であることがわかります。<br /><br />]]>
        
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